Aの部分にも第一主題、第二主題があります。第二主題に入るところで、左手の小指が単純な三連符から四分音符に変わります。
ちょっとわかりにくいですか?ではもう少し誇張して弾いてみます。なかなか自分で思っているほど変化ってついていないものですね。
どうですか?第一主題の終わる小節の四拍目から左手小指(最低音)がしっかりと聴こえているでしょうか。そうだとよいのですが。
この四分音符が曲想をしっかりと文字通り下支えしています。先回、Aはするりと逃げていくと書きましたが、Aの部分もa-b-a´-cと分けることができそうです。それでbの部分は少し厚みのある響きで落ち着きを見せてみるのは変化を付ける良い方法です。あ、今は作曲家の側から述べています。
それでどの程度厚みを持たせるかはピアニストにかかってくるわけです。上記は目立たせるために少し大げさにしているつもりなのですが、それほど極端とも感じられません。これくらいが自分としての理想形かもしれません。
もちろん、まだまだ速さも遅いですし「息継ぎ」をする癖もまだ直り切りません。そうした事柄と並行して練習していきますので、実際はもう少しゆっくり目に弾くように心掛けます。
少し横道にそれました。他の大作曲家たちも無論そうですが、ショパンはピアノを繊細に操る名人といえます。生徒を教える際には楽譜を調整することさえいとわなかったと聴きます(それで色々な稿があるようですが)。でもその調整は、彼の音楽を変質させるものではなく、その生徒がいかにショパンの意図する響きをもたらせるかを最優先したものではないかと思っています。即興曲第一番では、左手小指が四分音符になったり、あと二分音符になっているところにもお気づきだと思います。すっと力を抜いてほしいところでは、また三連符の長さに戻しています。
是非ともこの違いに注意を払って再「譜読み」していきたいと思います。そうするときにショパンの求めていた響きに近づいて行けるように思うのです。そして彼は、自分の音楽が変質させられない限り、ピアニストたちがそれぞれの表現の幅をもって演奏することを無言のうちに認めているのではないでしょうか。
そうそう、左手小指の重要性については、まるで自説のように書いていますが、そうではなく、コルトー先生のご指摘によるものです。A部分が「決まる」かどうかは、この左手小指の表現力にも掛かっていると言えるほど重要な部分です。ゆめゆめおろそかにしないように頑張ります。
次回は、Aの最後の部分、私にとって最難関と思われる部分の練習に注目してみたいと思います。(ラ・カンパネラも鋭意練習中です)。